乳腺炎、切開、激痛
〜乳腺炎シリーズ〜
前々回→複雑に入り組んだ母乳推進社会に鋭いメスを入れ、母乳によってこじらせてしまった病気、乳腺炎についてちょっとだけ伝えたいお話 - 鞘師姉妹の日記〜元港区女子〜
前回→乳腺炎、しこり7cmまで - 鞘師姉妹の日記〜元港区女子〜
山Pみたいな先生に切開されたかった
切開嫌だ
とりあえず抵抗しまくる私に先生、「切らないとまずい」と頑なに言ってくる。
医者「膿、たくさん溜まってるの。取らないから痛いの。取るよ。やらないとずっと痛いままだよ、膿抜けば楽になるから」
分かってる、分かってるから、、もうこれは逃げられないやつなんだと分かり泣きながら切開を受け入れた私は診察室にある処置台に寝て準備するのを待つ。
もう婦人科の授乳指導でおっぱい丸出しなんて慣れてるからおっぱい丸出しで怯えながら待った。
今まで地道に点滴打ちに1日2回も婦人科行って、効かないアセトアミノフェンと葛根湯飲み続けた日々はなんだったんだ!無理!切るとか無理!切るのは腹で終わりでいいだろう。
準備完了、切開がはじまる
看護師さんが来た。震える私。
先生と看護師さんでなんかカチャカチャやり出した、器具の音、ハイ無理。
そして先生(おじいちゃん)見るとなんかやる気になってるんですけど!!?目の色違いますけど!!?
なんかね、漲ってんの。
やる気ないよりいいけど怖いもう無理、ほんと無理、てか切開ってなんだよ、どこ切るんだよ。恐怖は頂点に。
私「あの、どのへん切るんですか?」
医者「乳首のね、2センチくらい下。ちょっとだよ」
ち、く、び、、、の近くってオイ
私「やだ無理やめて」
泣き叫んでしまった。ちなみに私アラサー、でも関係ない怖いもんは怖い。
看護師「最初に麻酔打てば痛くないから、麻酔だけ我慢ね!大丈夫よ~」
私 (あ、そうなの?オッケー)
先生「麻酔打つねーチクッとするよー」
私 (あー麻酔ね、こんなかんじだよねハイハイ。え、痛いのこれだけ?もしかして余裕?)
先生「じゃあ切っていきまーす」
私 (見ないでおこう、てか見れないよね普通に。あ、切り出したね!ってえ、待って待って、痛いんだけど????)
例えるならカッターナイフでおっぱいのどこかざっくり切られてる感じ。麻酔で感覚麻痺してのカッターナイフって感じ。
私「痛い」
先生「痛い?」
私「痛いです。」
先生「でもね、もう切るのは終わったから。痛いの終わり!じゃあ膿、出してくわ」
私 (あー終わり?意外と、余裕?)
膿出す作業拷問
甘くなかった。
これね、痛いよ。過去一番痛い。
やり方としては切った穴から手でまず押し出すんだけど。陣痛よりも、帝王切開後の傷よりも、痛い。
先生、両手で渾身の力でわたしのおっぱいを握りつぶす。
痛いんだ、カッターナイフできったおっぱい握りつぶされてるんだ。激イタ
痛すぎて暴れてたから応援の看護師さんが来て手を握ってくれた。
陣痛より痛いからね!だからそもそも乳腺炎にならないでねみんな!乳腺炎を防ぐことをおすすめする。(あとで書くけどどんな努力したってなる人はなるらしいから鞘師的考えでは初乳だけ吸わせたらやめてミルクにすれば?て思ってるけど働くなら尚のこと)
先生「うおー出るね出るね、まだ出てくるようおー!!こんなに出ると気持ちいいわ、出しがいがある!」
私 (死)
看護師①「あら、垂れちゃう、足りないなガーゼ」
看護師②「手、握ってるからね大丈夫よ」
応援に来た看護師②は室井滋似だった。
こういう顔よくいるよね
室井滋の顔を見ながら、室井滋の手を強く握りながら陣痛の時よりデカい声で叫ぶ私。ちなみに一度ドリンク休憩を挟んだ先生は、さらに全力の力を出しきり乳腺炎で炎症を起こし腫れに腫れた胸の膿溜まってる部分を全力でギューー!!!力、入れすぎ。
先生「まだまだ出るからね、押していくよ」(ぎゅー)
私「ぎゃああああいたいいいいい」
滋「私の目を見てて!下は見ちゃダメよ!」
先生 (ぎゅー)
私「いやあああぎゃああああああ」(滋を見つめながら)
滋「出産に耐えれたから大丈夫よ♡」
私「むりーむりーいたいー」
看護師①「息ゆーっくり吐いてねー」←陣痛ん時も言われたなこれ
先生「久しぶりだなハッハッハ」←容赦なく胸を押し潰す
私「あの、まだ終わんないんですか」
先生「もう一押し」(ぎゅー)
私「ぎゃああああだからもうむりだってー」
滋「でも子供は産めたでしょ♡」
看護師①「スカート汚れちゃったね♡」
先生(ぎゅー)
私「ひいいいぎゃああああ」
先生(ぎゅー)
私「いやああああいたいーこんなのだめー」
先生(ぎゅー)
私(シヌカモシレナイ)
看護師①「ガーゼガーゼ」
滋「赤ちゃんのためにも、がんばりましょ♡」
私「でもお!陣痛より!痛いって!ぎゃああ」
滋「ほら、赤ちゃんの顔、思い出して?かわいいでしょ♡」
私「かわいいけど、かわいいけどおおおひいいいいいい」
たぶん五分くらいこれ。
先生「ふう、こんなもんかな」
私「終わったの?」
先生「ううん、まだまだこれからなの」
は?
説明しよう(((o(*゚▽゚*)o)))
手で出しただけじゃ溜まりに溜まった膿は出しきれないので、穴から管を通して残りの膿が流れ出てくるのを待つそうです。
ちなみに管が外れないように私のおっぱいに通した管を縫い付け固定するそうです\(^o^)/
その管はいつ抜けるかはまだわからないと言われる(2日かもしれないし、2週間かもしれないんだと(^^)
おっぱいに管ってなんだよ、拷問過ぎ。でも受け入れるしかない。ここはおっぱ専門。受け入れようじゃないか。(あまりにも長かった無駄な婦人科通院期間でどうでもよくなってる)
先生「針と糸持ってきて」
私「針と糸!?!?無理!無理無理無理!」
なんかドクターXのオペシーンで聞いた器具の用語聞こえてきて、とりあえず怖かったけどあまりの痛みにより放心状態。叫ぶことをやめました。
穴から管入れられて、そこ縫われて、テープで固定して、ガーゼつけて、はしょりましたが感想としてはこれもとっても痛かったでーす♡
針と糸
処置完了
ボロボロ。
まっっったく、動けない。
処置後、切ってるわけだからね、管通ってるわけだからね、痛いんだよ、痛い、歩けないの。足一歩踏み出すと胸に響くの。左胸から響いて左足の付け根まで痛いの。ずり足で時間をかけて歩き受付待合室へ戻る。
胸は巨大ガーゼで覆われているけど、会計時そこからもうすでに膿は漏れてきていてTシャツが汚れてる。ついてきてくれた看護師さんが「ガーゼは交換じゃなくてこの上から被せてね」と指示。抗生剤とロキソニン処方されたからそれもらって帰宅。
(最初カロナール出されようとしたけど、婦人科では授乳中だから弱いアセトアミノフェン(成分調べたら効かないと話題のカロナールの仲間)出されて効かなさすぎたから断固拒否。この先生は「女の人カロナール嫌いだもんねー」ってあっさりロキソニンくれた。)
運転できなくなって昼なのに代行
車で来たんだよ、運転できないよ。腕まで死んだから。
産まれて初めて飲んでないのに代行タクシー呼んだ。昼にも来てくれるんだね。
その日は寝たきり。歩くのも遅い。
座るのも立ち上がるのも何分もかかるし、一度上体起こしたら痛すぎて横になるのも一苦労。起き上がるのも五分かかる、痛すぎて少しずつ、少しずつからだを動かしてやっと立ち上がる。病院のベッドほしいって思った。介護ベッド。
トイレいくのにどれくらいかかったかな。
ベッドとトイレの行き来、それだけ。ほんとにそれだけ。とりあえず全ての動作がおっぱいに響く、頭痛もまだ健在。
そして赤ちゃんの世話はやっぱり母親。
赤ちゃんは横に連れてきてもらう、撫でるのもいたい、腕が死んでるから。抱っこして胸に赤ちゃんあたると痛いから。
なんもできない、育児何ひとつできない、眺めるだけ。ご飯も食べれない、飲み物も飲めない、風呂なんてもってのほか、で、膿臭い、そしてとにかく痛い、臭い、痛い。
もうここまで来ると開き直り母親に「治ったらちゃんとしますんで赤ちゃんよろしく」と伝え眠剤飲んで寝た。明日管抜けるといいなって思いながら。
朝が来た、胸痛い頭痛い腕痛い足痛いまだ高熱ハイ全然良くなってない!
いざ消毒へ。消毒するだけだから!綺麗にするだけ!と言われた消毒へゴー!
消毒、普通に痛い。
私「なんで痛いの?」
看護師「汚いものがつまってるから痛いのよ」
先生「せっかく消毒頑張ったんだけど~膿溜まりすぎててどうしようもなくなっちゃってるね。管、付け替えるわ!」
消、毒、無、駄!
そしてまた付け替えるの痛いんですけど!もう炎症からの膿抜かれたボロボロおっぱい弄らないでくれ。(ここでももちろん大絶叫)
管の付け替えが終わり
昨日より痛い、昨日より動けない。なんで?
膿は確実減ってるはずなのに。
摺り足歩きさえできずタクシーまでは車椅子移動。
家でも全然動けない。昨日みたいに身体を少しずつ動かしていくことすら難しい。トイレ行けなくてオムツ買ってきてもらおうかと思ったけど「さすがにそれは」と思って、頑張ってトイレ行った。産後あんな嫌だった尿道カテーテル入れたいと心から思った。
ロキソニン飲んでも飲んでもきかない(ロキソニンの量守らずに飲みまくった)←真似したらダメよ危険
座薬もいれてるのに痛い。左側の足のつけねの痛みも増してる。横になるのが痛かったので、とりあえず上体起こして過ごしたけど、痛くて泣き続ける。痛みがどんどんひどくなる。頭痛もマックス。
やばい、死ぬ!!!熱はこの時39℃近くあったはず。確か。
不安になって病院に電話
私「信じられないくらい痛いんですけど、この痛みは正解なんでしょうか。管、なんか変になってるんじゃないかとか」
看護師「今時間外なんで外来じゃなくて病棟に繋がってて、えーっとどうしよう?当直の先生に一応診てもらいます?」
私「はい、診てもらいます!!」
また痛みに悲鳴をあげながら母の車に揺られ病院到着。膿の漏れかたと高熱から即入院が決まった。入院って。でももう入院らしい。仕方ない。
私「入院して何するんですか」
看護師「管の管理です。あまりにも膿が出てるんで。管から漏れ出してるんですよ。こまめに綺麗にしないといけないですね。それから鞘師さんは痛みに弱いので(笑)」
わ、わたしが痛みに、弱いから、、、?
私じゃなかったら自宅で子供の面倒見れるの?
しかも入院期間は未定(おそらく膿が抜けきるまで)
生後2ヶ月にもならない息子と離れ離れになり(お母さんごめん息子よろしく)
情けなさと寂しさと痛さでとりあえずむせび泣いてたら、21時になったからって電気消された。座薬入れて効かないロキソニン飲んでまた泣いて眠れなかった。
※最初から混合育児だったので、息子はすっかりミルク大好き赤ちゃん。入院中は母親がしっかりミルクを飲ませてくれ、お世話してくれることに。(高齢なのにごめんよ)
てな感じで入院生活の始まりです。
※おっぱいでるのも困り者だよ
乳腺炎、しこり7cmまで
前回
複雑に入り組んだ母乳推進社会に鋭いメスを入れ、母乳によってこじらせてしまった病気、乳腺炎についてちょっとだけ伝えたいお話 - 鞘師姉妹の日記〜元港区女子〜
前回の投稿から一年近く経ってました。鞘師姉です。
最近も誰か芸能人が乳腺炎なってたけど、結構多いんだね。私のは桁違いに重症だけど。
母乳を止める薬を飲んで母乳を辞めた私
薬の名前はカバサール。一気に4錠のんで完了(だと言われた)
他に産院からは言われたことは
・母乳、一週間くらいで止まると思うよ。
・母乳止まればしこりも痛みもなくなるから。
・刺激するとまた母乳作られちゃうから張っても搾乳はしないこと!
これだけ。痛み止めと解熱剤出されて帰されたよ~。
もうおっぱいあげなくていいから強い薬でいいのに、ロキソニンじゃなくてアセトアミノフェンもらった。イラネ。効かないんだもん。
「まあでもね、今は痛いけどあとちょっと経てば痛みも治まるし、何より母乳あげなくていいとか最高すぎる!ミルク!ミルク!あれ、しかもカフェインも酒も取り放題なの?最高しかないじゃん」とテンション高めに帰宅し、ミルク飲ませて寝かしつけ。私も次のミルクタイムまで就寝!のはずが。。
気持ちはうぇーーーいだった
痛い、寝れない
まあまだ痛いわな。仕方ない。でも一週間くらいって言ってたし、我慢我慢、ってあれ?赤ちゃん抱っこするのも痛いぞ?
おっぱい張ってるし熱い、でも搾乳したらだめって言ってたし、一週間我慢、、痛い、結構痛い、大丈夫なのかな?
痛すぎるのでかわいそうだけど抱っこはたまに。寝てるのを撫でてるだけでした(あのときはごめんね)
一週間後。。。
めっちゃいてえ/(^o^)\
悪化した/(^o^)\
大きなしこり/(^o^)\
しこりの大きさは、触って外からだけど直径3cmくらい。
産院で血液検査した結果「炎症起こしてるね。乳腺炎だけどまあ治るよ」と言われたので、、
先生に言われるがまま、抗生物質の内服と並行して、朝晩二回の点滴をしに通院することが決定。
「赤ちゃん連れて一日に二回、大変だけど治さないと」と思いながら、点滴は一週間と三日真面目に通った。大変だった。
あと冷やすのがいいって言われたからとにかく冷やした。ブラに保冷剤を三つくらい入れて(胸に熱こもってるから保冷剤がすぐにあったかくなるんだけどね)
やっぱり助産院で勧められたキャベツはダメだった。あいつすぐ熱こもるんだもん。インチキババア、産後メンタルにつけこみやがって!(何千円かずつ取られたの恨んでる)
点滴通い続けて一週間と3日後の血液検査
医者「炎症の数値は下がってるねもう内服だけで大丈夫。点滴しゅーりょー!よく今まで頑張ったねお疲れ様!あ、一応冷やすのは続けておいたらいいかもね」
と無事終了宣言されて、処方された薬は葛根湯とアセトアミノフェン。またアセトアミノフェン。もういいよアセトアミノフェン。こんな効かない薬あるの?ってくらいアセトアミノフェン効かない。母乳あげないんだからロキソニン飲ませろや!とか言えなかった。痛くて黙ってアセトアミノフェン持って帰った。
炎症は治まったと言われ安心するも、なかなか痛みは治まらず。やっぱり抱っこも痛い。熱も安定しない。必死にアセトアミノフェン飲むけどもちろん効かなくて、勝手にロキソニン飲んだ。
アセトアミノフェンについては次のブログでも書く。
痛みに耐える日々
私はとにかく冷やした。気付いたらすぐ保冷剤交換。
冷たさは15分が限界。ケーキとかに入ってる保冷剤を沐浴で使うガーゼにくるんでブラに挟む、交換の繰り返し。その間もずっと胸痛い頭痛い。
そしてまた一週間経ち
絶対おかしい!!!!
ねえ、痛みひどくなってるから!なんならしこりまた大きくなったから!推定では直径5cm。てことで産院へ。
産院の先生「赤くなってないし、大丈夫、血液検査も問題ないから帰っていいよ。あ、気になるなら冷やしなよ」
信じて冷やしながら過ごし、さらにまた一週間後。
もうこの時期にはあまりの胸の痛みから、赤ちゃんをナデナデすることもほとんどできず、ミルクもお風呂も寝かしつけも全て母親に頼るしかない状態。
唯一出来ることと言えば、寝かせたままの赤ちゃんに泣いて謝るだけだった。育児頑張りたいのに身体が思うように動かず泣いてばかりの毎日。
私、育児放棄だよね?こんなんじゃだめ、また病院行かなきゃ!と産院へ(何度目?)
先生「大丈夫ですよ」
いや、嘘だろ。私の胸見てよ。見た目からやばくない?左右差でみても2カップくらい違うよ?(この時のしこり推定7cm)
熱もあるんだよ?頭も痛いし腕も腰も響いて痛いよ。。
母親「でも先生がそう言ってるんだし、大丈夫なんだよ。そのうち治るよ」
もう誰も信用しない。思えば産んだときもこの先生変なとこたくさんあったし。
「乳腺外科っしょ!」
気付いちゃった、最初っからおっぱいのとこいけばいいんじゃん!
助産院、産院じゃないんだよ。助産院は医療じゃないし産婦人科は産むところだからおっぱい診れるけどおっぱい専門じゃない!おっぱいに医療行為できるとこ、そうそれは乳腺外科!!!
ネットを見てたら気付いてしまった私はまた車の揺れに悲鳴をあげながら今度は乳腺外科に駆け込む。
胸から響いて腕まで痛いけど頑張って問診票を書いたら更衣室へ案内される、胸と腕の痛みに耐えながらやっとのことで検査用の服に着替えた私はエコー待合室へ。周りには乳がん検診に来たおばちゃんグループがいて楽しそうに笑っていた。
そんな中、私の頭の中では
「乳腺炎ってひどかったら切開とか見たもんなあ。さすがにそれはないよね?だって産院では大丈夫しか言われてないし、炎症の数値は落ち着いてたし。だって切開っておっぱい切るんでしょ?どこ切るの?そんなんなったら逃げるかも。無理無理。頼むおっぱい!」
こんなことを考えてブルブルしていると
鞘師さーん
名前を呼ばれエコー室へ。薄暗い部屋で胸エコー開始。
あの、痛いんで、あんま刺激しないでね、、なんて思ってたらそーっとエコーの機械で触られただけであっという間にエコー検査は終了。
また待ち合い室で待ったらすぐ診察室へ呼ばれた。
ガラガラ
鞘師「よろしくお願いします」
先生「重度の乳腺炎です、すぐに切開します」
オワッタ、ほんとにオワッタ開口一番切開だよもうそれ絶対切開じゃん逃げれないやつじゃん。
「切開?切るの?今?え、切開?切開?」そして号泣。
産院の血液検査で炎症はもうないと言われていましたが、乳腺外科のエコーで診たところ私の胸の炎症はかなり進んでいて膿が溜まりすぎ。そりゃ痛いわ、よく耐えてたねって医者が言うほどになってました。(やっぱこれまで行ってたところはヤブだった)
産院のみなさーん聞こえますかー!?医療費返金してくれますかー!?
産院のヤブさを書いていたら、入院まで書けなかった。まだ続きます。
詰まってるのに、いきなりカバサール飲んで母乳の止めたのがいけなかったのかな?素人だから分かんない。またキャベツババアに相談すればよかったのかな?(薄情)とか考えたけど。。
次回予告
次回、まずは切開します。乳腺炎の切開手術です。
♡おまけ♡
助産院では断乳のケアもしてくれるそうですよ。(産後一ヶ月の断乳とか言ったら一回は止められると思うけど)
合うか合わないかは分かんない。とりあえず私とキャベツババアの相性は最悪でした。ひどすぎるって判断すると、助産院でも乳腺外科受診勧めるときいたから。キャベツババアは勧めてくれなかった。恨む。
死にたかった私が生きててもいいかなくらいになった理由
こんなタイミングで書くのもなんだかなんだけど、こんな時だから書きたいなと思ってこのテーマ。
錦戸くんが死んじゃうドラマ
死にたい時どうするか。
まず皆さん、死にたいときありますか?
「うわ、死ぬー」
「いやそれ死ねるやー」
「恥ずかしー死にたい」
結構気軽に出る言葉。
私がどれくらい死にたがりだったかと言うと、小学生の時にはちょっと高めの塀から飛び降りたり、ベッドに縄跳びをかけて首を吊ったりしてました。苦しくて辞めたけど。
中高の頃はお風呂で溺死しようと思って沈んでみたこともあるし、ドアノブにタオル引っ掛けて首吊ろうと思ったこともある。どれも苦しくなってやめちゃったけど。
当時は誰にも相談してなかったし、ただ自室で黙々とどうすれば死ねるか考えて試してみて苦しくてやめるのループだった。家族にも気付かれてなかった。
知ってた?「死にたい」って状態っておかしいんだって。
それ聞いた時「え?みんなベースは死にたいんじゃないの?」って衝撃だった。
私は毎晩寝る時「このまま朝が来なければいいのに」って思いながら寝てたし、遺書も年に何回も泣きながら書き換えてたし。
本当はGo to Clinicレベル。通院もしくは入院レベル。
でも私は運が良かったのか悪かったのか一連の自殺未遂も頑張って書いた遺書も一度も親に見つからず、問題ない長女として私は育っていった。
なんで死にたくなったのかというと、最初の理由は、弟へのコンプレックス。6年間我儘に生きてきたのに、急に赤ちゃんに親が取られちゃうって言うのが耐えられなくて。親のフォローもうまくなかったんだと思う。
で、我儘に育ってきたから友達ともうまく行かなくて一時期無視されてて、あーもう嫌だなって死にたかった。
中高入ったら女子校の独特のヒエラルキーに当てられて鬱々とするばかりだったし、特に楽しいこともなくて本当死にたかった。
で、大学の時に一度浮上するのね。学則もないしバイトもできるし自由だー!!って。
彼氏もできて「私ちゃんと充実した十代送れてる!」って。
しかーし、そこで付き合ったのが超絶束縛男!!
伝説の「男の客の髪に触るなら俺の耳を切れ」まだのレベルではなかったけれども
バイト選びにも口出しするし、男友達に嫉妬するし、また鬱々再発!
私がついに爆発したのが「ゆくゆくはお前と店出したい」の言葉。そいつバーテンで、バー出したいとは前から言ってたんだけど、え?私もそこで働くの?え?丸の内OLとかしたいんだけど?まさか就職先にも口を出してくる気か?となって鬱加速。
いや、普通に別れろよなんだけどね。束縛されすぎてて逃げるって言う頭がなかったんだよね。あいつに伝えるには遺書しかない。私を死なせたこと生涯後悔して生きるが良い。って思って、、、
鎮痛剤を二箱一気飲み☆
最後の方は記憶なくて何錠飲んだのかは分からない。
翌朝起きたら夕方で、「あれ?寝坊したなー」と思ったら視界がぐらぐらして歩けず。
「え?なんで?」ってやっと「昨日薬飲んだや」と思い出し、トイレで吐こうにも吐けず、「これはまずい」と気づいて自分で救急車呼んで胃洗浄のために入院。
病院きた母には「お母さんのせいなの?」って言われるし、退院した後には「ちょっとやってみたかったんでしょ」って言われるし、本当もうすこーしだけ言葉選び頑張れないかな?って思う。あ、彼氏とは別れられた。
でなんやかんや大学卒業して就職したら今度はお局という敵が現れましてね。適応障害ですわ。それまで人と揉めても無視されるくらいだったから直接言われることに免疫なくてね。本当すがりつくようにメンタルクリニック駆け込んで診断書もらってからの休職。そこからご飯の味がするようになるまで半年かかったよ☆
このとき学んだのが、死ぬ前に逃げるの大事ってこと。これまで逃げるより死ぬだったんだけど、まず逃げること、大事。
「にっげろ〜」
今死にたい人にアドバイスするなら「理論的にでも物理的にでもいいからまず逃げて」
これに尽きる。
親が原因なら一人暮らし、友達が原因なら留学、恋人が原因ならLINEで別れ話ブロック削除、仕事が原因なら休職もしくは退職!!
どれやるにも多少準備期間必要だけど、しんどい中準備して全速力で逃げて!!
で、私のメンタルが安定したのはこうやって逃げて逃げて自分の一番心地いい場を作って、犬を飼ったこと。犬はいいよ、束縛してこないし言葉で傷つけてくることもないし、ただただ愛をくれる。素晴らしい存在。
愛のかたまり
私の経験してきた鬱々は多分軽い方だから、これを読んだもっとヘビーな鬱々な人には鼻で笑われちゃうかもだけど、逃げるのが正解っていうのは多分共通だから。
例の彼女も誹謗中傷から逃げて、安心できる場所が見つかれば良かったのに、そうできないくらい追い詰められてたんだね。もっと自分の言葉が人をどんな気持ちにするか想像力の長けた人たちばかりになりますように。自粛解除後はコロナのせいで籠った分人間的にレベルアップできた人たちで街があふれますように。
自ら命を絶った若き女性のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
複雑に入り組んだ母乳推進社会に鋭いメスを入れ、母乳によってこじらせてしまった病気、乳腺炎についてちょっとだけ伝えたいお話
鞘師姉です。
先日書いた通り出産しまして、早速子育てつらっ。世の中のお母さんすごい!私には無理!なんて思いながら子供は可愛いので日々子育てに奮闘しております。
まあ子供育ててれば色々ありますが、今回は母乳について!ではなく母乳をあげたことによって発症してしまった乳腺炎のお話!
産む前の病院から出されたアンケートみたいなので希望の授乳方法を聞かれてたんだけど、私は母乳とミルク両方で育てる通称「混合」を選択。
ちなみに母乳だけで育児は「完母」、ミルクだけは「完ミ」と言う。世の中のママたちは、ネットを見れば基本この3つで「出た!完母アピ!」「母乳勧めて来るババアなんなの?」「ミルクでも健康に育つ!」と議論している。怖い。
私は「母乳あげてたら免疫つくんでしょ?栄養あるんでしょ?じゃあとりあえず母乳はあげときたいな。でもお出掛けの時に授乳室なかったら困るし、預けたりもするかもしれないから、ミルクも飲めるようにしておいたほうがよさそうだよね!」っていう理由で「混合」に決めた。
母乳、ストレス
母乳あげるのって難しいんだね、こんなんなんだね、知らなかった。
最初は、赤ちゃんが乳首見つけるのに30分とかかかるの。その間ずっと赤ちゃんは泣いてるの。ストレス!まあだんだん慣れて上手くできるようにはなってくるけどそれでも大変!
流れはこんなかんじ
・赤ちゃん泣く
・近くに飲み物用意(授乳し出すとめっちゃ喉乾く)
・ケータイも用意(身動きとれなくなるから近くに置いておく)
・おっぱい出す
・授乳クッションセット
・赤ちゃんを配置場所に持ってくる
・乳首探させる
・赤ちゃん何分も乳首を探す
・赤ちゃん乳首発見、吸い出す(乳首見失うとまた一から)
・時計を見て時間を確認、何分吸わせたかとかも考えないといけない。
・しばらく吸わせたらもう片方
ストレス、まさにストレス。でも新生児はまとめて飲むことができないので授乳も頻回・・・。夜中眠い中乳首を探させるのもストレス!すぐ次の授乳時間が迫って来るのもストレス!!最初は時間かかるから次の授乳時間がくるのもあっという間なんだよね。
こんな感じで母乳をあげる行為自体が本当に苦手になってしまった私は、自己判断で夜中は母乳を封印しミルクだけにすることに。結果、夜中だけでも地獄の授乳タイムから解放され、精神的にかなり楽になったんだ♡でも、更なる地獄が待ってたよ!
吸わせないから詰まったよ!
ある日、突然、おっぱいが、詰まった♪
うん、詰まった!心なしかおっぱいの出が悪いし、なんか痛い。しこりあるじゃん!
詰まりとしこりに気付いたのがちょうど1か月検診の日だったので、産院で助産師さんに詰まってる部分をマッサージしてもらった。
結果、悪化したよ!熱出たよ!痛み激痛となり腕も上がらなくなった。頭も痛い。赤ちゃんに吸わせると痛すぎて悲鳴。え、なにこれ。。
調べると、母乳によるおっぱいのトラブルのケアは助産院なるところでできるらしい。ネットで助産院を検索していちばん家から近いとこを予約。車で揺れるたびに悲鳴をあげるほど痛い。泣きながら向かい助産院到着。
インターホンを押すとおばちゃん登場。あー、きつそうなおばちゃん。でもベテラン感しかない!なんとかしてくれそう!
おばちゃん「あらー詰まってるね、でも大丈夫私なら詰まりとれるから」
頼もしい!この助産院でのやり方はつまってる箇所を揉むのではなく、乳首を揉んで母乳を出しまくって詰りをとるらしい。初対面のおばちゃんに乳首揉まれながら怒られた。
おばちゃん「こんなに出るおっぱいなのになんでミルクあげたの!今すぐミルクはやめなさい。」
母乳あげるのダルかったとは言えなかった。。。
結局一時間乳首を揉まれるも詰まりはとれず。
おばちゃん「明日には必ず私が詰まりをとるから明日来て。それまではキャベツ胸に貼って冷やして。」
え?キャベツ?食べるキャベツ?そう、キャベツ。
おばちゃん「ついでに食事!お米はたくさん食べて。あとは野菜中心お肉はダメ、タンパク質は少量の豆腐で。もちろん甘いものなんてもってのほか」←信じてその時は言うこと聞いたけど後々調べるとTwitter界にいるお医者さんは「脂質をとることは乳腺炎に直結しない」「それに医学的根拠はない」などと言ってる人多くて結構それが認知されてた。
痛いのにババアに言われた通りとにかく吸わせる。激痛。陣痛も痛かったけどこれはこれでかなり痛いよ。毎回泣き叫びながら、、、
キャベツ貼っても胸が熱持ってるからすぐキャベツ熱くなるし。
痛い→赤ちゃん泣く→吸わせてもっと痛い→キャベツ貼る→痛い→赤ちゃん泣く→吸わせて痛い→キャベツ→痛い→朝になりました→ババアんとこ行きます→乳首揉まれます→治りません→「また明日」と言われ帰る→痛い→吸わせる→キャベツ→痛い→吸わせる→吸わせる→痛い→キャベツ→キャベツ(エンドレス)
ねえいっそ死んでいい?「明日には」「明日かな」って全然詰まり取れないじゃん!3日経ったよ?明日で4回目のババアだよ?もうメンタルとっくに崩壊してるよ?
そして3日目にしてついに39度を超える高熱。
病院に電話し病院へ。そして気付く。
体重戻ったし、母乳やめればよくね?うん母乳やめよう!
ババアにLINEし縁を切った私は病院で先生に「母乳やめたいです!」と高らかに宣言したのでカバサールっていう薬を貰う。4錠飲むと止まるらしい。その場で飲んだ。
やったーもう母乳あげなくていい!痛みもそのうちなくなるよね!ミルク!ミルク最高!
次回予告 そんなに甘くない乳腺炎本格化の巻
通院生活が始まるよ!そのあと手術みたいなこともするよ!そして入院するよ!
ついでに一言
助産院、詐欺師もいるから気をつけて。良かったよって言う人たくさんいるから個人差あると思うけど、少なくとも私は桶○式はこわくて近寄れないトラウマ。助産師さんって一人一人言うこと違うしマッサージの仕方も色々あるから自分に合う人がいたらラッキーなんだろうなと思ってる。とりあえずキャベツババア許さない。
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休職後にそのまま退職、転職した場合の年末調整はどうなる?
転職から1年が経ちました。
まぁ色々思うところはあるけれど、前職よりは全然マシ!お局いないって天国!
さて今日は、私が転職前から年末までずっとずっと「どうしよう」と思っていた年末調整(前職の源泉徴収提出)の話。
休職してたら前職の源泉徴収ってどうなるの?
私の退職までの流れですが、9月から休職、そして休職からそのまま3月末に退職。もちろん休職してたなんて言わないまま涼しい顔で入社。
さあ、そうすると源泉徴収がどうなるかというと1月〜3月までは給与ゼロ!
「え、でも退職金が出るからゼロにはならないよね?誤魔化せるんじゃないの?」
ねー、そう思いますよねー。
ところがどっこい、源泉徴収に退職金は記載されないのです。
そして新しい勤務先で年末調整をする際、「今年1年分まとめてやるから、前職の源泉徴収(1〜3月分)も提出して」と当然のように言われてしまうんですね。
ゼロ円と記載された源泉徴収。素人が見たって怪しさ満点。
「あれ?鞘師さん、3月末まで在職だったはずよねぇ?もしかして休職とか?」
となってしまいますね、当然。いやだ!バレたくない!!
なんとか乗り切りたい!!
私は入社前にこのトラップを知り、とにかくGoogle先生に聞きまくりました。
質問:ねぇ、どうすればゼロ円なのを誤魔化せるの?
Google先生の答え
・ブラックすぎて給料支払われてなかったと言う→いや、無理っしょ
・ブラックすぎて源泉徴収票出してくれてない→いや、無理っしょ
・もう完治しているので面接の時には言わなかったのですが、怪我で休職していました。あ、もう完治したので大丈夫でっす!→いや、面接の時言えよってなるっしょ
・実は父の介護をしていて・・・もう解決したので大丈夫でっす→いや、面接の時言えよってなるっしょ
質問:源泉徴収票を提出しない方法
Google先生の答え
・出さない。追及されても出さない。個人の自由。自分で確定申告するって言いはる。とにかく出さない。怪しいけどね、普通出すからね。出さない時点で「あ、こいつもしかして(察し」ってなるよね。まぁでも出してないからね、確証はないよね。→よし、もうこれしかない
鞘師の取った行動
というわけで、年末調整の時期がやってきて、あのお決まりの紙が配られた時、私は迷わず机の奥深くにしまいました。
「よーし、これで提出期限が過ぎるのを待つばかりだ」
私の作戦は完璧なものに思えました。提出期限が1日、また1日と迫り、そして過ぎていきました。
提出期限が3日程過ぎたとき、先輩から「年末調整の紙出した?」と聞かれました。
「いえ、実はまだ保険料申告のためのハガキが保険会社から届かなくて。自分で確定申告しようと思っているんです。お気になさらず・・・」と私は答えました。
すると「あ、私の同期が人事部にいるから、鞘師さんの提出遅れるって伝えとくよ」とその先輩は答えたのです(ありがた迷惑ー!!!!!!)。
思わぬ邪魔が入り私は焦りました。しかし私の「提出しない」という決意は固い!
3日後、その先輩から「年末調整、出した?」と聞かれました。
ここまで来ると既に怪しまれているのでは?と無言で首を振る私に
「確定申告するとなると、すごく面倒みたいよ?」とその親切な先輩は言いました。
改めて調べて見たところ、確かに色々面倒そうでした。
(なんか翌年の税額がベラボーに高くなる。まぁそれは翌年末の年末調整すれば戻って来るけど、それまで結構な税金を徴収される)
もうここまで来たら仕方ない!
私は人事部の担当者を捕まえて「実は、前職で休職していて。源泉徴収がゼロ円と記載されているので出すのを渋っていたんですが・・・」と正直に伝えました。
すると「なんで?記載額、私たちは誰にも伝えないよ?出したらいいじゃん」と返答が!
え?そんな感じ?
翌日、私は前職の源泉徴収表と年末調整の紙をそそくさと人事部に提出しました。もしかすると「あの子休職してたよ」と人事部内や私の上長に話が回っているのかもしれませんが、今の所そんな気配もなく平和に働いています。
結論:源泉徴収、出さないのはなかなか難儀。出しても意外と大丈夫!
人事部に提出する、ということですごく構えてしまったのですが、入社以降真面目に過ごしていたのが功を奏したのかなぁと思うのと、現職はある程度人数がいる会社で休職が珍しくないから大丈夫だったのかなと思います。
どうしてもバレたくないって人は、12月末で退職するのが一番(前職が年末調整してくれるから)。もし1月以降になってしまった場合は、潔く提出してしまうしかないかと思います。
まぁそもそも休職してたことを言わずに入社するなんてどうなのよ?って話ですが、病む理由は人それぞれ。私の場合は主治医からも「環境調整が必要(今の環境が合ってない)」と太鼓判をもらっていたので、環境が変わればどうにかなると確信があったし(というかそう信じたかった)。
かつての私のように今悩んでいてこのブログに辿り着いた方の転職先が、口が固い人事部のいる会社でありますように!
過去記事
無能夫、熱湯ミルクを赤ちゃんにあげようとする
鞘師姉です。出産しました。
出産本当に大変で世の中のママたちが皆んなこんな思いをしたんだと思って見る目変わった。皆んなすごい。
旦那は相変わらずクソ。今回はそんな私のクソ出産・育児ネタをお送りします。
①院長が人望ない
事前に産む日を決める計画出産だったんだけど、急遽「明日産むよ」と前日に分娩日決まる。
執刀医、まさかの変更∑(゚Д゚)優しい女医さんから院長(ジジイ)へ。
そしてなんと研修医までいる。院長、研修医にキレながら何か教えてる。私で研修しないでほしい。しかもしつこい。研修医にネチネチ言う院長が去った後看護師さんたちから
「ごめんねー、うちの院長嫌な人でしょ?怖いでしょ?」とまさかの悪口を振られる。
どうでもよかったけど看護師さんたちこれからお世話になるし仲良くしとこうと思って乗っかった。院長、人望なかった。
②無痛って言ったのに全然無痛じゃない
朝7時、分娩台へ。前日から子宮口開くための処置してたんだけど子宮口あんま開いてない。
でも計画出産なのでとりあえず陣痛促進剤投与。陣痛キタ!なのになぜか麻酔を入れてもらえない。
これ無痛分娩だよね?痛いよなんで???
理由は麻酔入れすぎるとお産が長くかかりすぎるとのこと。最初に言え詐欺師。
しばらく陣痛に耐えた後やっと麻酔してもらい痛みが和らぐ。痛みから解放された。
さあ赤ちゃん生まれておいで!しかし開かない子宮口、進まないお産。
しばらくすると麻酔が切れるんだけど、その度次の麻酔をなかなか入れてもらえず「もうちょっと頑張って」と言われ、また陣痛に耐える。。その繰り返し、という全然無痛分娩じゃない分娩をしばらく頑張るも気付けば夜。
「今日は無理だね、やめとこう」と言われて翌日に持ち越し。。朝から晩まで頑張ったのに。。と言うことで一旦促進剤を止めたけど地獄の一夜が待っていた。
促進剤止めたのに痛い(´;ω;`)陣痛まではないけどなかなかの痛み。その晩痛みにのたうち回る。痛み止めはくれない。誰かに連絡してロキソニン密輸しようかと思った。
私には出産は無理なんじゃないか、頑張れないんじゃないか。そう言えばニートやったりしてたくらい頑張れない人間だった。。そんな奴に出産とか無理じゃん!と思い出し一人で泣く(´;ω;`)
数日後この日に書いたと思われる
Wi-Fiないし産まれないし
といったメモ書きが出てきた。
③今日も頑張ってみよう
翌朝6時半、看護師さんたちにそう励まされながら分娩台に向かうもまだ開いてない子宮口。促進剤投与。
即陣痛くる。しかし昨日と同様、散々我慢させられてからの
→麻酔入れる
→麻酔切れる
→陣痛痛い
→破水
→麻酔入れる
→麻酔切れる
→だから痛いんだよボケ∑(゚Д゚)
これ何回繰り返したかは忘れた。
早く麻酔入れてと頼んだら「あなたは痛みに強いんだからもうちょっと我慢して」と院長に言われた。
痛みに弱いから無痛希望したんだよアホ!
でこの日も院長キレてるし。内診しながらしつこい説教始めて説教中ずっと手突っ込んだまま。その間も陣痛来てるんですけど。
途中心が折れて、「だって私クズだもんクズに子供生めるわけないもん」って泣いたらベテランの助産師さんに「そんなこと絶対言ったらダメ!」って言われた。なんかごめん。
で昼まで頑張ったけど破水もしてるし結局これ以上かかると危険との判断から緊急帝王切開になる。結局切るんかい。
旦那が私にボールペン握らせて同意書、母印。本当にここ二日間の痛みはなんだったんだろう。帝王切開開始13時って言ったのに院長全然来ないし痛いし。
私は陣痛に耐えながら、看護師さんたちは悪口言いながら院長待つこと15分、(途中陣痛おさまってるときに私も悪口に加担した)ついに院長が登場。しかしなぜか世間話を始めた。
どうでもいいからはやく切ってくれ。
麻酔打たれた途端全ての痛みから解放され下半身の感覚がなくなった、
と同時になぜか脳内に山Pが出てきた。山P別に好きじゃない。でも目を瞑ると山P。癒された。本物の現実逃避。だから意識ある中切られるのも全く怖くなかったよ。
山Pありがとう
そして山Pのことを考えていたらあっという間に生まれた赤ちゃん。
ほんとに早い!すぐ出てきて、改めてこの2日間はなんだったんだろうと思った。
ちなみに院長は縫合中も怒ってた。私起きてるのに「そんなやり方すると裂けるよ」とか言ってた。裂けさせないで、怖いよ。
その後は帝王切開の麻酔により動けず要介護状態全身謎にチューブだらけ、からの麻酔が抜けてからは傷や子宮収縮の痛みに苦しむ。まあそれはいい。産まれたし我慢あとは回復を待つだけだし。問題は旦那。
④旦那が無能
看護師さんたちからは「旦那さん優しいね」って褒めてもらったけど、本当無能。
麻酔がまだ効いてて動けないとき、窓の光が眩しくて「眩しいからカーテン閉めて」って言ったらベッドの間のカーテン閉めた。光がどこから入ってるのか分からないの?愕然。もはや無能すぎて怖い。
入院中授乳前に赤ちゃんの体重測ってきてってお願いしたら、なかなか戻ってこない。心配になって様子を見に行くと赤ちゃん用体重計の使い方が分かってなかった。ゼロになってから置くっていうことができてなかった。普段家で普通に体重計乗ってるからほんとミステリーだった。
スタバのフラペチーノ飲みたい飲みたい言ったら買ってきてくれた♡だかしかしストローを忘れてきた。無能ネタありすぎて書ききれない。
⑤熱湯ミルク
一通りお世話のやり方教えたから昨日は初めて夜中のミルクをお願いしよう!と思って任せていたら、ミルク120ccに対して100ccの熱湯を注いでふっていて唖然。
それだと湯冷ましのお水20しか入れないことになるよね?何してるの?私お湯とお水半々だよって作ってるとこ丁寧にみせながら教えたよね?しかも言い訳が「ネットにそう書いてあった」だったからね。
私どうしたらいいですか?
結論
2人目は絶対産まない。
出産は思ったより大変だったし産後も授乳のストレスからメンタルやられて新生児室でヘルパーさんに泣きながらキレたりしたけど(ごめん)優しい看護師さんたちに支えられてなんとか乗り越えられた。感謝。無痛じゃなかったのには納得してないけど。
想定外の帝王切開による傷どうしよう?と思ったけどとりあえずアマゾンでテープ買って貼ってみてる。自分では効果わかんないけど母親には治り早いよね?って言われた。
CAになりたいあなたへ〜スクールへは行くな
就活している人はそろそろ内定してるんでしょうか。今回は来年就活を控えるCAになりたい女子に向けて。「CAスクールには行くな」をお送りします。
キャビンアテンダント(客室乗務員)、女子なら誰しも一度は夢見るよね♡
CAスクールって何?
その名の通りCAになりたい人が行くスクール。塾みたいなもの。
とにかく面接の練習からCAメイクの仕方から所作からOGのおばさま先生がスパルタで教えてくれる。ただし学費は高い。
私はSEをやっている時に通った。ボーナスが吹っ飛んだ。それでもSEから抜け出したくてせっせと通った。CAになる日を夢見て☆
結果は、、?
先に結果を書いてしまうと前回のブログでCAについて触れてないことから分かるように惨敗。CAにはなれず。ちなみに日本のエアラインは青いところしか受けず、あとは海外ばかり受けた。
CAスクールは役に立ったのか?
エントリーシートや面接の受け答えについて細かく指導してもらった賜物か、最終面接まで進めたところも数社ある。多分CAスクールのお陰だと思う。
私は半年くらい通い、仲良い子もできたが、私含めみんな受からなかった。通学者の内何パーセント受かってるかは不明。
エアラインによってはCAスクール感が出ている子は取らないという話も!私の周りでCAになった子たち複数人に聞いたけど「スクール行かなかったよー」とのこと。CAスクール入会する前にヒアリングすべきだったぜ。是非入会に悩む女子にこのブログが届くことを祈る。
でもCAになりたいんだもん!
ね、なりたいよね。あの制服着たいもんね。分かる。分かるけどあなたは本当にCAになりたいのか?
私がなんで全落ちしたのか考えてみると、憧れだけだったからだと今になって思う。CAとしてやりたいことはなかったんだな。
CAの志望動機として「小さい頃一人で飛行機に乗った際に、搭乗前から降りるまでCAの方がずっと気にかけてくださって、その旅が不安なものから一生の思い出に変わった。私も誰かの旅をそんは忘れられないものにするお手伝いがしたい」みたいなことが言えなきゃなのかなって。
私にはなかった。小さい頃乗ってもCAはおもちゃくれるお姉さんとしか認識がなかった。
なんでなりたいのか?CAじゃなきゃダメなのか?それが自然に浮かぶならCAスクール行かなくても受かるし、ないならどれだけテンプレ覚えても落ちる(たまにテンプレ丸暗記で受かる場合もある。これはスクールのすごいところ)。
でもやっぱり憧れちゃうよね
知ってる?CAって激務なんだぞ☆
CAに並々ならぬ想いがあり、もう本当なりたい!って言う人。そんなあなたに老婆心ながら一つ言わせてほしい。いや、一つじゃない、いっぱい言わせてほしい、CAの大変なところ。
①労働時間が長い
今は100時間飛ぶのも当たり前。でも先生が言っていた話で印象的なのがコレ。
「昔は80時間飛ぶのも稀だったの。私は3回だけ80時間以上飛んだことあるけど、そのうち1回は風邪ひいて、1回は貧血で倒れて、1回は生理来なくなった。100時間なんて想像もできない!」
100時間やべー。今は昔よりもフライト間の時間もタイトだと言うし、本当に体力に自信がないと続かないと思う。
②女同士のギスギスが怖いぞ☆
私の友達は10円ハゲが3つできたぞ☆
③意外と薄給
総合職なら初任給20万円以上が普通でしょう。それがCAだと、、、
初任給が四大卒で月額180,319円(職務調整手当30,000円を含む、別途諸手当あり)+乗務時間に応じた手当(試用期間中は本給149,500円【別途諸手当あり】)
え、20万円割るの!?これが私には衝撃だった。昇給していくスピードが早いんだろうか?制服貸与されるにしてもちょっと辛いな。
CREWでございます! スチュワーデスお仕事日記(1)(書籍扱いコミックス)
- 作者: 御前モカ
- 出版社/メーカー: 秋田書店
- 発売日: 2016/06/16
- メディア: コミック
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CREWでございます! 燃える! ! スチュワーデス物語(書籍扱いコミックス)
- 作者: 御前モカ
- 出版社/メーカー: 秋田書店
- 発売日: 2017/06/16
- メディア: コミック
- この商品を含むブログ (1件) を見る
CA (Crew)の酸いも甘いもなことが書いてあるマンガ
制服着たい人にオススメ!JAL工場見学
私やっぱり憧れてただけだわ、と言う人にオススメなのがJALの工場見学。無料で参加できて制服が着れちゃうぞ☆
腕を通して後ろでマジックテープ留めるタイプ。意外とクオリティは高い。
結論
まぁ人生一回だし目指してみるのもありじゃん?スクール行かず、自力でね♡グッドラック!